『継続は力なり』

『独立自尊』の精神とともに、
紡いだ110年の歩みを振り返る。

代表取締役社長 松村 俊幸

松村株式会社
代表取締役社長 松村 俊幸

松村株式会社は、2018年、創業110年を迎えた。
企業の平均寿命は一般的に25年と言われるが、松村株式会社は一世紀を超えて歩み続ける。
その歴史、横浜との関わり、そして社員への想いなど、松村株式会社 代表取締役社長である松村俊幸が語る。

聞き手は、管理栄養士としてTVでも活躍し、第七代目横浜スカーフ親善大使も務める今泉マユ子である。

日本の近代化と生糸

聞き手を務める、今泉マユ子。

聞き手を務める、今泉マユ子。

今泉:
松村株式会社を創業したのは、お祖父様なんですね。

松村:
松村の先祖は、江戸時代に栃木県佐野市の本陣でした。祖父は、中学生の頃から貿易商になりたいと言っていたようですね。
横浜に出てきたのは15歳のときです。絹織物を扱う商店の丁稚奉公をしながら夜学に通い、25歳の時に松村商店を起業しました。明治41年(1908年)のことです。

今泉:
松村商店も、絹織物を取り扱っていたんですか。

松村:
そうです。
明治維新後の近代日本において、生糸は日本の主要な輸出品であり、大切な外貨獲得手段でした。生糸は、明治政府が進めた殖産興業のひとつでした。横浜港からの輸出品の8割が生糸だった時期もあるそうです。また、生糸で獲得した外貨が、鉄鋼業など近代産業の礎になったとも聞きます。
祖父が松村商店を起業した翌年の1909年には、日本の生糸生産量は清(中国)を上回り、世界一になりました。

今泉:
中学生の頃から貿易商を夢見たお祖父様が、「横浜」と「絹」を商いに選んだのはさすがです。
当時の横浜は、絹の街だったんですね。

松村:
赤レンガ倉庫を始め、横浜には生糸、もしくは絹に由来する建物がたくさん残っています。三渓園にしても、生糸で財を成した原三溪氏が開園したものです。

横浜の伝統産業はシルクスカーフである。

横浜の伝統産業はシルクスカーフである。

今泉:
若い方、もしくは他から引っ越しされてきた方の中には、横浜と絹のつながりをご存じない方も多いです。
私は、第七代目となる横浜スカーフ親善大使を仰せつかっていますが、横浜の地場産業がシルクスカーフであることを、皆さまにももっと知って欲しいです。

松村会長、もっと頑張ってください!

松村:
あっ、はい(笑)

※松村は、横浜繊維振興会の会長、一般財団法人シルクセンター国際貿易観光会館の会長、社団法人神奈川県繊維協会の副会長も務めています。横浜スカーフ親善大使は、スカーフの振興を目的のひとつとして、横浜繊維振興会が選出しています。

『シルクのプロフェッショナル』から、多角化経営へ

今泉:
現在の松村株式会社は、絹を始めとする繊維の商社としてのお仕事だけでなく、さまざまな事業を展開されていますね。

松村:
不動産、作業服、そして最近では防災用品の扱いも拡大しています。

今泉:
関内で貸し会議室や貸しビルを経営するなど、松村株式会社は不動産ビジネスのイメージも強いのではないでしょうか。

松村:
第二次世界大戦後、関内は米軍に接収され、「かまぼこ兵舎」と呼ばれた米軍の宿舎が並んでいました。
当社が関内に戻ったのは、かまぼこ兵舎がなくなってからしばらく経った昭和29年、不動産ビジネスを本格的に展開し始めたのは昭和40年代です。

今泉:
きっかけは、なんだったのでしょう。

松村:
ナイロンを始めとする合成繊維の発明、国内養蚕業の衰退、生糸の世界的産地である中国の国交正常化(昭和47年/1972年)など、原因はいろいろあるのですが、当社の看板である『絹』以外のビジネスを考えざるを得ない社会情勢の変化がありました。

作業着販売もそのひとつです。
本格的に取り扱い始めたのは、昭和55年以降です。現在では、役所関係から物流業、建設業まで、多くの顧客を持ち、ビジネスの柱のひとつとなっています。

『継続は力なり』 町内清掃のエピソード

町内清掃の様子

町内清掃の様子

今泉:
松村株式会社と言えば、長年続けていらっしゃる町内清掃も素晴らしいです。

松村:
昭和28年(1953年)、米軍による接収が解除され、関内が我々のもとに戻ってきたんですが。
当時の関内は、「関内牧場」と揶揄される、雑草が生い茂る荒れ地でした。祖父が、「関内牧場」の荒れっぷりを憂い、住吉町町内会を設立し、美化運動として昭和39年(1964年)から開始した町内清掃が、今に至るまで55年以上、継続されています。
現在は私が町内会長として実施していますが、やめられないですね(笑)

今泉:
55年!?、それはすごいですね!
55年も継続できた理由は何でしょうか。

松村:
当たり前のことを、当たり前に継続してやってきただけです。
町内清掃活動が、55年継続したというのも結果でしかありませんし、特別なことをしてきたという意識もないんですよね。
ただあえて言えば、地域、つまり関内という街に対し、役に立っているという気持ちは、モチベーションにはつながっているかと感じています。

話が少しずれますが、当社でも若手社員なんかは、ほうきの持ち方を知らない子もいました。竹ぼうきを初めて見た!、とか。
社会貢献とは言いつつも、当社にとっても良いことはたくさんあるわけです。

当社が良くなることが、街、社会が良くなることにつながっていけば良いですね。

『三方良し』の精神とともに

松村が語る今泉:
松村株式会社が、ビジネスを行う上で心に留めていることをお聞かせください。

松村:
『三方良し』ですね。

これは、近江商人が心に留め、大切にしていたと言われます。
「三方」とは、売り手、買い手、世間のこと。「売り手、良し」、「買い手、良し」、「世間、良し」、つまり、売り手と買い手がともに満足できる関係にあり、さらに社会貢献までできるというのが良い商売ですよ、という考え方です。

仕事、つまりお金を稼ぐというのは、楽なことではありません。辛いこともたくさんあります。でも、乗り越えていかなければなりません。
どうやったら辛いことも乗り越えることができるのか?
ひとつは、社会から必要とされることを行っているのかどうか?、という点ではないでしょうか。

そういった仕事をひとつひとつ積み上げることで、お客様、世間からも、信頼、信用、堅実を身に付け、学んでいくことができるのだと思います。

『独立自尊』

松村が語る今泉:
会社から、社員の皆さまへの期待することはありますか。

松村:
社員って、家族ではないんですけど、ある意味、家族以上に濃密な時を過ごす仲間でもあります。
だからこそ、ひとりでも欠けて欲しくないし、当社の仕事が自らを成長させる場であって欲しいと考えています。

『独立自尊』

これは福沢諭吉の言葉と伝えられています。
「何事も独力で行い、自己の人格の尊厳を保つこと」(デジタル大辞林より)という意味ですが、当社では昔から良く言われてきた言葉です。
私も父に、よく言い聞かされました。

今泉:
日本の近代化を支えた絹を生業とし、横浜の歴史とともに歩んできた松村株式会社だからこそ、『独立自尊』という言葉に重みが出るのではないでしょうか。
貴重な話をお聞かせいただき、ありがとうございました。

松村:
こちらこそ、ありがとうございました。

『社長と語る』を終えたふたり

『社長と語る』を終えたふたり。

今泉マユ子さん

株式会社オフィスRM 代表取締役であり、管理栄養士。
管理栄養士としてレシピ本を多数執筆、NHK、民放キー局などTV等のメディア出演や講演会・セミナーなどでも活躍する。

防災士の資格も持つことから、防災食アドバイザーとして活動の場を広げている。
松村俊幸が会長を務める横浜繊維振興会が選出する、第七代目横浜スカーフ親善大使を務める縁から、今回の聞き手として登場。弊社WebサイトTOP画像のモデルも、今泉さんにお願いしている。

株式会社オフィスRM   https://office-rm.com/

今泉マユ子
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